宝の道
今回の宝の道は「ユネスコフォーラム」開催に合わせ、10月13日(日)の午後に越前市ボランティアガイドの浅井さんの案内で越前市中心部の「町中歩き」を実施しました。コースは武生駅から越前市役所、馬場通り、武生公会堂記念館、龍門寺、蔵の辻、総社大神宮、寺町通り、龍泉寺、千代鶴神社と約2時間の町歩き。
先ずスタートの武生駅前で「武生は戦災をはじめ大きな災害がなかったので、町の中心部の四つ辻のほとんどが卍形で残っています。駅前は明治時代までは日野川の河川敷を利用した大きなお濠がありました。」との説明があり、駅近くの越前市役所に向けて町歩きスタート。武生は古くは越前国の国府がおかれ、戦国時代には後に加賀百万石の藩祖となる前田利家が初めてお城を築いた地で、越前市役所建設の際の発掘調査では、江戸時代に府中(武生)を治めた本田家のお館の石垣が発見されており、歩道わきには再現された石垣や説明プレートもあります。
武生公会堂記念館では学芸員の西脇さんから「古代の越前国」についての説明を受けました。
古代の越前国は越前国の政治・経済を支えていた越前国府や、大陸との日本側の玄関口であり敦賀市気比付近には渤海国の遣使を迎えるための迎賓館「松原客館」が置かれていたことなどから中央から重要視されていた国と言えるとのことです。ただ越前国府や松原客館の場所や規模、構造などは明らかになっていません。このため越前市教育委員会では令和5年度から5カ年計画で「越前国府発掘プロジェクト」を実施しており、令和5年度と6年度は国府1丁目の本興寺境内での発掘調査では平安時代の溝や土坑(どこう)、柱穴(ちゅうけつ)が発見されたことから越前国府の所在地解明の足掛かりとなったとのことです。(今回の展示では発掘調査の概要や緑釉陶器や墨書土器、暗文土器など官人の存在をうかがわせる遺物も展示されています。
また王志保窯跡群でみつかった鴟尾が展示されています。鴟尾は古代の宮殿や寺院の屋根の両端を飾るもので復元出来たものとしては北陸でも初めてだそうです。お城は鯱、宮殿や寺院は鴟尾のようです。)
このあと旧魚市場や青果市場,幕末から明治初期にたくさんの指物職人が活躍し明治半ばに形づくられたタンス町通りから龍門寺へ。このあたりは織田信長の武将冨田長将が朝倉攻め、一向一揆攻めの際にここに城を築いて戦の指揮をとったとのこと。現在も城跡の土塁が残っています。町歩きはこのあと大正から昭和初期の木造店舗や蔵を生かしたお洒落なカフェやレストランなどが並ぶ蔵の辻、総社大神宮、寺町通りから、越前打ち刃物の祖「千代鶴国安」を祀る千代鶴神社へ。国安は気に入った刀が出来ると殺傷するものを作ったという鎮魂の気持ちから砥石を削り狛犬を作り千代鶴の池に沈めたという言い伝えも残っています。約2時間の町歩きはここで終了。語り部さんの話を聞くときは足も止まるので足の疲れはそれほどではありませんでしたが、10月半ばとは思えない暑さがこたえました。また想像以上のお寺の多さにはびっくりしました。